880円(税80円)
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井伊直政 花押 携帯ストラップ/キーホルダー(蒔絵調) 価格(Sサイズ)¥880(税込) サイズ:アクセサリー部分の一辺が約23mm 五百円硬貨と並べて大きさを比較してみました。 上の写真のようにキーホルダー仕様もご用意しております。「仕様」欄にて選択出来ます(写真は足利尊氏の図柄です)。 フィルム状のステッカー台紙に印刷の上、透明樹脂を盛る「ドーミング」処理を手作業にて施し、耐久性や光沢感を出してあります。 「井伊の赤備え」で知られる徳川四天王の一人、井伊直政の花押です。ご覧の通り、名を象ったというより、燕のような鳥が飛び立つ姿を捉えたかのようなデザインで、珍しい意匠です。 徳川軍の先鋒大将としての心意気を示したと捉えるべきでしょうか?実際、直政は関ヶ原の合戦で負った鉄砲傷が元で亡くなる事になります。命がけで戦場にあった戦国武将の気概に触れたようで、身が引き締まる思いがする意匠です。 今回、直政公の花押を金蒔絵風に、背景には井伊家の家紋に採用されている橘を配し、赤備えにちなみましたが、桃色、ピンク基調で彩ってみました。 井伊直政公略歴(1561-1602) 遠江井伊谷を本拠とする国人、井伊氏の出身で、元は駿河の守護大名今川氏に仕えていたが、父直親が内通を疑われて誅罰されたために所領を失い、幼少期は流浪の身にあった。 その後、徳川家康によって身の回りを世話する小姓として取り立てられ、その側近から次第に頭角を現していった。 甲斐武田家の滅亡後、その旧臣たちを副えられ、軍装も赤に統一、世に「井伊の赤備え」と呼ばれ、徳川家中でも屈指の武勇をもって知られていた。 武勇だけではなく、外交手腕においても優れていた事から、徳川家康が豊臣秀吉の命で関東に移封された際、家中最大の上野箕輪城に12万石を与えられた。 関が原の合戦の際には、家康に代わって諸大名の寄り合いである東軍先鋒部隊に副えられ、本多忠勝と共にまとめ役として手腕を発揮した。また、決戦の際には娘婿の松平忠吉(家康四男)と共に抜け駆けして一番槍を果たした。しかし、合戦終盤の島津勢追撃の際に、銃撃を受けて負傷してしまう。 これらの武功によって戦後、石田三成の旧領である近江佐和山18万石(後彦根城を築城)に加増移封された。 その後も戦後処理に奔走するが、関ヶ原合戦の際の傷が悪化し、42歳で没した。 花押とは?…文書に添えられる直筆の署名に類する印、サインの事を言います。現在でも、内閣総理大臣をはじめとする各閣僚が、それぞれ花押を用いて法令などにサインをしています。 その意匠は自身の名や理念、あるいは動物をデザイン化したものまで様々…その人柄を偲ぶことが出来ます ※ドーミング商品については、戦国グッズに限らず、下の写真のような、オリジナルデザインによる特典物など、お客様にご提案がございましたら、お気軽にお問合せくださいませ。(ウェブページ最上部の"CONTACT"をクリックして頂くと、メール・フォームが表示されます)
Ryusaku
歴史ファンだけではなく、誰もが使えるデザインで、より多くの方々に歴史や文化財への興味や関心を深めてもらえれば、と考えております。